88: ディジェイヌ
2026-07-20 00:02:08 Mzc0NGYz(12)
とある山奥、そこに湧き出る秘湯ーーその周囲には四人ほどの影が次々と服を脇に置いて爪先から身を沈めていた。
「先生、本日はお越しいただきまして、誠にありがとうございました。ささやかながら召し上がってくださいませ。」
既に湯に浸かる人物に声を掛ける男は一升瓶を持ち、猪口の載った盆を差し向ける。
彼の傍の服には翁を模した金色の能面が置いてあるのが目を引くだろう。
「おぉ、コイツはありがたいな。頂くとしようかの。」
声を掛けられた人物ーー顔や体格からして初老程度ながらも年期を感じる白髪頭の男が湯に緩んだ顔のまま笑顔を浮かべながら答える。
「なぁ〜なぁ〜学園長、僕にもちぃと頂け「るわけねぇだろ、テメーはダメだバカ。」なんやいけずぅ。」
恐らく翁面の持ち主たる男の酒を前にして縋るような声を上げたのは銀髪の青年だ。
...もっと見る中性的で泣きぼくろが映える色白の美麗な顔立ちだが、右額からは瘤と呼ぶには不自然なほどに張り上がった…さながら角としか言いようの無い突起を備えている辺り人とは非なる者で間違いないだろう。
そんな彼を制したのは黒髪で眼鏡を掛けた青年だ、精悍な顔立ちを苦々しく歪め吐き捨てる。
「貴方達、特別講師の前でおよしなさい!」
「うっ…そっすね……」「すっ、スンマセーン…」
そんな様子に学園長と呼ばれた翁面の男が一喝すると2人は肩を竦み上がらせながらしおらしく引きつり笑いを返した。
すみませんねぇと、白髪の男に対し、翁面の男は苦笑を浮かべるが、
「構わんよ、お主ら元気なようで何よりじゃ。折角の湯を楽しもうぞ。」
目を細めながら口をすぼめ、猪口を片手に満悦な様子で3人を制する白髪の男は開放感に身を委ねるように深く息を吐いた。
「しかし、先生の知識には本当にお世話になっております。」
「いつもありがとうございますぅ。『僕ら』だけでは他の『連中』のことはよく解らへんからなぁ〜」
「なんの、わしはただ自分が分かることを教えとるだけじゃよ。そういえばお主、4人目が産まれるんじゃってな?」
「えぇ!?イヤそっすけど、誰からそんな話を…?」
指名された眼鏡の男は驚きを見せながら応えるが、即座に何かを察するように隣の角の男を睨みつける。
「そやつが愚痴ってたのが聞こえただけじゃよ。」
「テメェコラ、ヤんのかオイ?」
「んもぉセンセ、ユーモアの通じん子やさかい要らん事言わんといてぇ〜」
眼鏡の男が凶悪な笑みを浮かべながら前腕に生成した鋭利な刃を角の男に突き付け、当人は参ったように頭を掻いて舌を出す。
「ア ナ タ た ち ?」
「ヒェッ!?」「スッスス、スミマセンッ…!」
しかしそんなやり取りもまたしても学園長の一喝に収まった。
恐らくはこれが彼らにとっての茶飯事なのだろう。
楽しげに笑いながら白髪の男は諭すように言う。
「しかし四児の父か、頑張り甲斐があって大したものじゃのう。子を思う父は強し、じゃ。」
「いや貴方もう子供どころかお孫さんまでいらっしゃいますよね…?」
「それやそれ、アンタ80前後行っとるなんて言うとったけどその顔で嘘やろぉ?」
感慨深げに頷く姿に学園長と角の男が指摘を入れるとしかし、複雑そうに笑みを浮かべながら男は語る。
「そうじゃなぁ、まぁわしの場合は間違いなく、『あちら』に長居したり頻繁に出入りしたりが原因じゃろうな。」
後は…いや、これは良いか。
そんなことを思いながら白髪の男は再び3人と談笑を交わし始めた…
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「ええか、あやつらは集団で攻めてくる上に果物が好きなんじゃ、コレを使わない手は無いぞよ、一網打尽じゃ。」
「ばーちゃんはすごいのぅ、いろんな魔物のことに詳しくて。」
「いくら一族に銀弾の技術とそれをこなせる魔力が伝わっているとて、敵を知らんと動きようもないからねぇ…」
『彼』の一族は銀の弾丸で人畜を害する魔物退治を行う『魔法使い』の家系だった。
起源は祖先たる日本人の魔法使いが西洋圏に留学した際にシルバーバレットの文化を学び、自分たちの家系の魔術に擦り合わせたなどと聞くが、まぁこの際は良いだろう。
ともかく、そんな家系で生まれた彼だが、魔物に対して詳しい知識を見せる祖母の姿から魔物達そのものの実態に興味を持ち、物心がついた頃には文献を読み漁って妖怪や魔族のような魔物達及びその伝承に通ずる民俗学に傾倒するようになり、より多くの異形を知るためにと、20を超え独り立ちする頃には自ら世界や異界を練り歩き、時には衝突して争い、時には打ち解けて戯れ、様々な魔物を観察して知り、膨大な知識を蓄えるようになっていった…
銀弾の者として励み、時には銀弾の魔力そのものを指先に宿して撃ち出す術を編み出す為に研鑽し、その傍らで魔物と触れ合い広めた見聞を資料として纏める日々を彼は楽しんでいた。
そんな時に出会ったのが、彼女だった…
その日、彼は異界の水辺を歩いていると、
「ん、なんじゃ…?」
不意に儚げな声が聞こえてくるではないか。
よくよく聴くとそれは歌だろうか…?
正体を辿るように岩場の陰へと行くと…
「あれは……」
彼は陰から覗き見た正体に思わず目を見張る。
長い髪を靡かせ、一人か細い声を口ずさむのはスレンダー、というよりもはや華奢と呼ぶにも薄すぎる体型で儚い面持ちの女性…しかし胸と腰回りは鱗に包まれ、太ももより先は一本の尾鰭が、両肘より先には水かきを具えた緑色の皮膚が露わな辺り、紛れも無く人外の者だろう。
「"マーメイド"か、良い声じゃな……」
思わず暫し立ち竦んで聴き惚れていたが…
ばしゃり。
「ッ…!だ、誰!?」
突如響く飛沫音に咄嗟に振り向いた先、一人の影が倒れているではないか。
「な、なんだ、追手じゃな……え…!?」
一瞬胸を撫で下ろすがしかし、当の影ーー一人の青年が口をすぼめ目を細める脱力した表情を浮かべながらブクブクと水底へ沈んでいくではないか。
「え、ちょっと、待って…!?」
完全に水没する前に慌てて引き上げ、意識を戻すように軽く揺する。
「んーむむむ…はて何があったかのぅ…?」
「えぇ……」
やがて目を開ける青年だがまず出てきたのは溺れかけたと思えぬほど呑気な声だ。
相変わらず口をすぼめたまま頭を搔く青年にマーメイドも呆気にとられるがしかし、すぐに疑問を口にする。
「あたしはマーメイド。貴方、人間…?」
お?突如振られた話題にゆるく笑いながら彼は応えた。
「ああ、クニオじゃよ。助けてくれてありがとう。」
「…あたしの方こそ、ごめんなさい。ただ歌いたかっただけなのに…」
気にせんでええよ、後ろめたい表情を見せながら言う彼女の姿に青年・クニオは以前文献で見たマーメイドの性質を思い出し事情を察する。
「わしが勝手に聴き入っただけじゃからな……」
あっけらかんと言い放つ姿にふと、マーメイドは違和感を抱く。
この男、人間と言うが先程溺れかけたことを除けば随分ピンピンとしている上に獰猛な魔族に溢れるこの世界にいながら目立った外傷も無く、何より自分の性質を知りながらも怯えも拒絶もしない…
彼なら…意を決したように息を呑むと彼女はクニオに詰め寄った。
「ねぇ、貴方ってもしかして強い?」
「ん?わしは強いなどと思ったことはないぞ。家族からはかなり魔力が高いと言われるがの。」
「魔力が…?そう。あのね、お願いがあるんだけど…」
「そう言えばお主追手がとか言っとったな?」
「あ、それは聞こえてたんだ…」
改めてひとつ息を吐き出すと、彼女は口を開いた…
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